熊本(平成28年4月14日)の大地震

まずは、2度の地震についてお伝えします。(前半・後半に分けます。)今となれば間違った行動もあるのかもしれませんが、その時は必死でしたので考える余裕はありませんでした。この体験記録を読んで、もしものときにどうすればよいのか、少しでも頭の中でイメージしてもらえたら役立つときがあるかもしれません。

役立つときが来ないことを願いますが、備えあればうれいなしです!

2016年4月14日、1度目の震度7

地震が起こった時の行動

その日はごく普通の1日で、夕食をとり、お風呂に入って、歯磨をして子どもたちの寝かしつけをしていました。寝かしつけてからゆっくりテレビでも見ようかと思い、布団に入りました。

ところが、21時26分にそれは起こりました。
ガタガタと揺れて「あれ?ちょっと大きめだ」と思った瞬間に、家全体がものすごい強さで揺れました。ブレーカーが落ち、真っ暗になる中で、物が棚から落ちる音やドアが勝手にガンガン動きだす音、鳴り響く携帯の緊急地震速報アラームで身も心も一気に混乱。よく、「縦揺れ」「横揺れ」と言いますが、何揺れか分からないぐらい揺れていました。

とにかく子どもたちを守らなければ!
という思いで、布団を被り、当時1歳と3歳の子どもの上に被さり、ただひたすら揺れが収まるのを待っていました。

待っていたというより、何もできませんでした。

いやいやいやいや!!なにこれ!これ絶対ダメなやつだよ!!

と、冗談ではなく本当にこう思いました。子どもたちの手前「大丈夫!絶対大丈夫だよ!」と言い続けていましたが。今思えば自分自身に「大丈夫」と言い聞かせていたのかもしれません。

揺れが落ち着いても油断できない

揺れが収まる(収まるといっても大なり小なり揺れ続けていました)と、しばらくして電気が復旧しテレビなどをつけることが出来ました。すぐにテレビを見ると、実際自分たちに起こったことが分かりました。

私が被災した場所は震度6強だったのですが、一番ひどい益城町では震度7(マグニチュード6.5)を記録したという情報を見て恐ろしさで鳥肌が立ちました。どれぐらい揺れたのか今何時なのか把握できず、心臓がドクドク動くのが分かるほど緊張状態で、とにかく子どもを抱きしめてテレビを呆然と見ていました。

自宅は小さめの賃貸マンションで、地震後に部屋の中や外壁などを見て、周りの方々と家にいた方が安全であると判断し外には出ませんでした。近所の方に後から聞いた話では、このとき外の公園には避難した方が多かったそうです。

私たちはめちゃくちゃになった部屋の中で、ひたすら耐えていました。しかし22時を過ぎると震度6弱震度5弱と数十分置きにきました。とても怖かったのですが、最初の地震に比べ少しだけ弱く感じたのでこのまま弱まるだろうと考えていました。

地震で揺れ続ける夜~子ども達・実家の家族・熊本以外の友人~

もうとにかく揺れてました。ずっと船の上にいるような状態です。この日は21時以降だけで震度3以上の地震が32回起こったそうです。

子ども達の様子

子ども達は、下の子(1歳)はまだよくわかっていない様で、異様な雰囲気にちょっと落ち着かなかったのですが割と早めに眠りました。上の子(3歳)は、やはり状況が子どもなりにもわかるようで、緊張で全身が汗ぐっしょりになっていました。ただただ、「大丈夫だよ」と声をかけ抱きしめていました。大人でも怖いのに子どもはどれほどのショックがあったのか計り知れません。

両親や熊本県外の友人たちの被災状況

私の両親も熊本に住んでおり、家の中はグチャグチャのようでしたが全員無事でした。ただ、電話が非常に繋がりにくかったため、LINEやメールでのやり取りでした。

熊本県外の友人たちからは心配する連絡がありました。とてもありがたかったのですが、今現在の情報の把握やこれからどうするのだろうという混乱状態で、「みんな無事だよ」くらいの返事しかできませんでした。

大地震後、結局一睡もできず朝になる

寝不足
ずーっとテレビを見ながら地震の合間に、少しだけ必要な物を集めて家族で固まっていました。結局寝ることができませんでした。おそらく多くの方々は眠れない夜を過ごしたと思います。

そして朝になり、まだ揺れは続いていましたが、テレビで「あとは”余震”に警戒する」ということだったのでもうこれ以上の地震は起きないと思っていました。

次は、地震翌日の15日に行った事、16日の本震についてお伝えしたいと思います。

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