前半で、4月14日に起こった地震の体験についてご紹介しました。後半は約8時間後に起こった、14日を上回る震度の地震についてお伝えします。
文章が拙く、上手く伝わらない部分もあると思いますが、何か一つでも今後の防災の役に立てればと思います。また、2人の子ども達(1歳、3歳)の様子については、また別にまとめさせていただきます。
Contents
M6.5の地震が発生した翌日、4月15日の記録
連続で起こる地震~今、目の前のすべきこと~
日付が変わり、幾度となく起きる地震におびえながら、少しずつ夜が明けました。カーテンを開ける余裕すらなかったのですが、その隙間から日の光が差し込んでくるととても安心した気持ちになりました。
テレビでも電気でもない自然な光が、町中を照らしてくれることがこんなにもホッとするのかと思いました。揺れが収まったわけではないのですが、やはり真っ暗な中で何も確認できない状態での地震は、今まで感じたことのない恐怖でした。
まず日が昇るのと同時に、周りの家や道路の状態を窓から見ようと思いました。寝室から出ると、昨日も確認したはずですが、やはり家の中がめちゃくちゃで窓まで行くことができません。通れそうなところを探し、外を見ると外壁が壊れたり瓦が落ちている家が多々ありました。
こんな風になるんだ…と寝不足の頭で考えながら、次に思ったのが部屋の片づけです。これが厄介でしたし、まさか翌日にさらにひどい状態になっているとは思ってもいませんでした。
周囲が明るくなると、テレビでも一気に地震後の熊本の状況が分かってきました。テレビからも混乱が伝わってきて、食糧・水の確保をしなければ!と思い買い物に出かけました。
主人は仕事のため子ども達を自転車の前後に乗せ、いつものスーパーに行ってみました。14日の地震で、外壁や内部も壊れている部分はあったもののどうにか営業していて、とても助かりました。今思うとこのときに何も買えなかったかと思うととても恐ろしいです。今更ですが、非常食・水の準備は本当に大切です!
また、この時点ではまだ自宅は断水はしていなかったため、お風呂に水を溜めておきました。
「平成28年熊本地震」命名、余震だけという安心感と疑問
店に来ていたお客さんと、怖かったですねーと挨拶のように話し、皆さん割と落ち着いて買い物をしていたように思います。というのも、気象庁からの「今後大きな余震が来る確率は20%」との報道があったため、もう起こるとしても余震だけで確率も低いという気持ちがあったと思います。
ここでちょっとだけ、「なんで本震ってわかるんだろう?これ以上来ないってやっぱり研究とかで分かっとるんかなぁ」と疑問に感じましたが、まぁ国が発表したから大丈夫だろうと、気にしないようにしました。このとき平成28年(2016年)熊本地震と命名したと報道があり、無意識に昨日の恐ろしい地震はすでに終わっている(これ以上はない)と少し安心したことを覚えています。
念のための片付け、いい加減な避難グッズ準備
とはいっても余震は大なり小なり起こるので、掛け時計や重たい物を部屋の隅に動かしました。また、料理も火を使うのが怖かったので簡単な時短料理で済ませました。
昨日の恐怖は鮮明に覚えているので、昨日は準備していなかった避難用グッズを用意しようとバッグに入れ始めました。ぼんやりとしか分からないので、「地震 避難グッズ」を携帯で検索…
すると「水は2,3リットル×人数分(1日分)」
今更そんなにない…という事で大きなバックにとりあえず2リットル×3本を入れました。あとは、子どもの離乳食用ベビーフード5袋、クッキーなどのお菓子、オムツ10枚ほど、薬、くらいでしょうか。本当に一応・念のため程度のものしか入れてません。突然の大地震で、混乱している上、急に慣れない避難グッズの準備という事で冷静に判断できませんでした。
平成28年4月16日午前1時25分、M7.3の大地震発生
揺れ続けるものの、やはり家族全員昨日の寝不足がたたり、午後11時ごろには全員が眠りについていました。そして日付が変わり、午前1時25分、16日より大きなマグニチュード7.3の大地震が再び熊本を襲いました。
そして再び停電、全ての明かりが消えました。
子供を抱きしめながら、建物が揺れる音なのか地鳴りなのか、色んな方向からガンガン、ドンドン、ガシャーン!と聞こえるたくさんの大きな音を、理解できない状態で布団を被り耐えました。町中の車の防犯ブザーも鳴り響いています。
全身に力を入れておかないと、身体も地震の力で飛ばされてしまいそうな程の力でした。
揺れが大きく、揺れている時間がものすごく長く感じました。
ブレーカーを落とし、ガスの元栓を締め、戸締りをする
今回ばかりは昨日以上の恐ろしい揺れで、公園に避難しよう!と、揺れが弱まった時に動き出しました。
ここで記憶にあったのが、ブレーカーを落とす・ガスの元栓を締めるということです。地震の際、またはそのあとの通電等によって火災が発生する可能性があります。
また、火事場泥棒対策で、全ての窓やドアの鍵を閉めました。
公園までの避難の道のり
よし外に出るぞ!といっても真っ暗で揺れる中、携帯のライトで周囲を照らしながら適当に足元にあったサンダルをはきました。子どもたちは固まって動ける状態ではないので布団を被せて抱っこしました。そして昼に作った避難グッズをもって階段を降りました。
4階分の階段ですが、降りるときにも容赦なく揺れます。
そして子どもを抱えているうえにこの揺れ、さらに避難グッズの重さ…激しい揺れの時には階段に座り込み早く収まるのを祈るしかありませんでした。
なんとか降りて周囲を見渡すと、14日以上の悲惨な状況。
道には壊れた家の塀や外壁が崩れ出ていて、アスファルトもひび割れていました。朝がきてちゃんと周りの状況が見渡せるようになると、さらに酷い現実を見ました。
幸い、先に避難した方々が車のライトを避難先の公園に向けて照らしてくれていたので、危ない物を避けて避難することができました。また、公園にはブルーシートが敷いてあり、備蓄していた飲み物が配られました。みんな体験したことのない恐怖の中、非常時にこんなにも機転が利きテキパキと誘導してくれる自治体の方々のすごさを実感し、心から尊敬しました。
後日分かったことですが、ここまで自治体がしっかりとしている所は少なかったそうです。
次の記事では、避難した公園での体験をお伝えします。