【避難②】公園への避難から車中泊・避難所への移動

平成28年4月16日午前1時25分、マグニチュード7.3の大地震の直後、公園へと必死に避難しました。次々に起こる大きな余震に耐えながら、朝を迎えました。今回は、公園での避難生活から車中泊、避難所へと移動した経緯をお伝えしたいと思います。

一度避難したらそのまま避難生活が続くと思っていましたが、色んな問題に直面すると避難場所を変える必要性が出てきます。そのときの状態・状況によりますが、このような例もあるということをご紹介します。

地震直後の近くの公園への避難

公園

なぜ避難所ではなく公園に避難したのか

以前の記事(熊本(平成28年4月16日)の2度目の大地震)で、無我夢中で公園へ避難したことをお伝えしました。通常、避難するというと、近くの公民館や学校などを思い浮かべますが、私たち家族や近所の方は公園を選びました。
なぜなら、

  • 指定避難所より近かった
  • 普段からお祭りなどのイベントを公園でしていた
  • 地に足が付き、屋根がなく何も落ちてこない安心感

という、公園が日頃から慣れ親しんでおり、何より周りに倒れるものや落ちてくるものがないという安心感が理由でした。しかし後から、指定避難所でないと物資調達が難しいなどといったことを知りました。

余震に耐えながら迎えた夜明け

そのときは「余震」とは思いませんでした。というのも、4月14日の大地震が本震だと思っていたらそれ以上の強さの地震が起きたのです。もう何が起こってもおかしくない、これで熊本が…さらには世界がどうにかなるんじゃないかとパニック状態で恐怖に怯えていました。

次々に揺れながら、時間の経過は全く分かりません。4月といえども夜は冷え込み、やっと持ってきた毛布で寒さをしのぎました。気付くと日が昇り始めていました。

日が昇ると、不思議と夜よりかは不安が少しずつ消えていきました。しかしホッとしたのもつかの間。瓦が落ちたり壁が剥がれ落ちたり、色んな物が倒れ、さらに道には亀裂が入りボコボコ隆起している状態を見て再び落ち込みました。

 夜が明けてからの炊き出しや片付け

4月14日に起きた地震で、次の日の15日は多くの方が家の壊れた場所や割れたり倒れたものの片付けに追われていました。テレビなどで「この後は余震に注意」という報道があったので、まさか14日を上回る地震が起こるとは思っていませんでした。大地震直後で心身ともに疲れてはいましたが、みなさん頑張って片付けをしていました。

ところが今回の16日の地震で、前日の努力が無になる、もっと言えばさらに酷い状態にまでなりました。

今回は夜が明けても、家に戻る方は少なく、必要な物を取りに戻りすぐに家の外に出ていました。とにかく道だけは通れるようにと、みんなで力を合わせて簡易的にですががれきなどの撤去を行いました。

避難先の公園では皆で家から食べられるものを持ち寄り、どうにか全員が少しは食べれるような量のサンドイッチを作りました。サンドイッチといっても、普段コンビニで売っているようなものではありません。家にあるジャムなどをサンドしたものです。

また、とても助かったのが、飲み物を町独自で備蓄していたことです。

水分の大切さとは?のどの渇きや乾燥

水分補給
夜が明けて真っ先に思ったのが、町全体がもやがかかったように黄色いということです。空を見ても透明感がないほど視界が濁っていました。恐らく色んなものが一気に壊れて粉塵などが空気中に大量に漂っていたのだと思います。

そのためかのどの渇きが激しく、皆さんこまめに水分を取っていました。私は普段乾燥肌ではないのですが、唇や顔など肌が乾燥で痛くなるほどでした。

また昼間は太陽が昇り、夜に比べると気温が随分高くなったため、暑くて水を求める方が多かったように思います。幸い私の住む町では十分な備蓄があったのでとても助かりました。しかし、他の避難所や町ではなかなかそうはいかず、水や食べ物を求めさまよう方が多くいました。

少しでも分けに行こうと思っても、動ける範囲が限られていました。普段だと車に乗って10分ほどで行ける距離も、信号機や道路の破損・陥没・隆起で、進めるものではありません。

地震などの災害は家が倒壊したりケガをしたり、何が起きるか予測が付きませんが、とにかく水分などの備蓄はできる限りすべきだと強く思います。

水については、こちらに詳しく記載しています。
生活用水について飲料水について

大雨により、公園から車・避難所への移動

大雨
4月20日の夜、雨が降るとは聞いていましたが、テントやシートも意味がないような豪雨に…。心身ともに疲れ果てている人々にとってこれは非常につらいものでした。

車や近くの施設に避難

雨がひどすぎるため、近くの施設に自治会長さんが頼み込み、どうにか避難できるようになりました。しかし、どれも安全性が確保されているわけではない建物です。いつまた大きい地震が来るか分かりません。その点で施設の方とのやり取りが厳しかったようです。

施設は狭いので、基本的には子どもやお年寄りが優先的に入ることになりました。私は子どもが二人(1歳・3歳)ですが、子どもが慣れない場所で過ごすことと室内に入ることへの恐怖心があったため車に避難しました。

家に戻った方もいましたが、雨漏りや崩れる恐れで寝るときには車を使っていた方が多数いました。

指定避難所に移動しなかった理由

指定避難所に当たる小学校は歩いて15分ほどの距離にありました。実は大前が降る前に、歩いて様子を見に行ったことがあります。知人も避難していましたが、様子を聞いて避難を断念しました。
なぜなら、

  • これ以上人が入れないほどすし詰め状態
  • 支援物資も人が多すぎて行き渡らない
  • 断水のため衛生面が非常に問題がある
  • 車中泊のために運動場は満車、外にも長い列ができている

という不安のためでした。
自分だけならば、どうにか過ごせる環境だったのかもしれませんが、子供2人を抱えて避難できる自信がありませんでした。

実際、知人も2歳の子どもがいるため、2日間で避難を断念し車中泊を選びました。

次に、施設での避難生活と車中泊についてお伝えします。

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