【避難①】熊本地震本震後の公園へ避難

今回は、4月16日に起きた地震で避難した公園での様子、その後の避難生活についてお伝えします。

そのときは無我夢中でとにかく子どもたちを守ろうと試行錯誤していましたが、あとから周りの状況を知れば知るほど、私が体験した避難生活はとても恵まれていたと分かりました。そのため、今回の話で想像よりも楽に過ごせそうと感じる所もあるかと思いますが、あくまで一つの体験として読んでいただければと思います。

2度目の熊本地震発生後、近くの公園へ避難

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とにかく重い避難グッズとスマホ

とにかく安全な所に避難しようと、必死で階段を下りましたが、このとき慌てて持って行った避難グッズが重すぎました。肩に掛けられる大きめのトートバッグに2リットル×3本と、適当に入れ込んだ物たち…これがとにかく重い!必要と思って色々詰め込み過ぎていました。これを肩に掛けて子どもを布団ごと抱っこして揺れる階段を下りるのは思った以上に大変でした。

後ほどまとめてご紹介しますが、当然のことながら避難グッズはリュックにすべきです。

さらに私は大きめのスマートフォンを使っているのですが、そのスマートフォンのライト機能で足元を照らしていました。これはスマホで片手を持ち続けるためとても不便でした。

でも今更戻ることもできないので、とにかくマンションから出て公園を目指しました。

安全を確保するため、避難してきた人は多数

先に避難していた方々が、危険な所を懐中電灯や車のライトで照らしてくれていたことでどうにか近くの公園にたどり着きました。そのあいだも暗闇の中にライトで浮かび上がる変わり果てた近所の状況を見ながら、現実なのか夢なのか、必死でしたがどこかぼんやりとした状態で歩いていました。

公園に着くと、すでにブルーシートが一面に敷いてあり、たくさんの人がぎっしりと座っていました。4月とはいえ夜はかなり冷え込むので、毛布を持ってくる方が多かったです。座っていても身体が強く揺さぶられるような地震が何度も起きました。

そのたびにどこかで物が落ちる音、割れる音、車の防犯ブザーが鳴り、本当に地球が壊れるんじゃないかという程の地鳴りの音に恐怖しました。

とても恐ろしく、地震のたびに悲鳴が上がったのですが、公園という上から何も落ちてこない状態が、天井がある室内よりとても安心感がありました。

公園で待機しているときにインタビュー

必死に逃げてきて子どもたちと身を寄せ合っているとき、突然「すいません、今回の地震はどのように思いましたか!?」と突然のインタビュー。カメラはなかったのですが、スーツ姿の女性が小さなマイク?のようなものを持って話しかけてきました。

どう思ったか=怖かった、の感想しかなかったため、「とても怖かったです」と繰り返し伝えました。今思えば、その女性の方もとても怖い思いをしているだろうに、現状の情報を収集して全国に伝えようとするプロ意識に冷静に答えるべきでした。今更ですが、気の利いた答えが出来なくて申し訳なく思います。

自治体の方々の連携プレーの凄さ

車のヘッドライト

公園にたどり着くまでの道

上に記したように、公園までの道のりは懐中電灯や車のヘッドライトに照らされ、危険を回避しながら公園へ到着することができました。

もしここで何もなければ、真っ暗な道をスマホのライトだけで歩かなければなりませんでした。道には沢山の瓦や塀が崩れ落ちており、余震でそれもさらに落ちてきている状態でした。恐らくそのまま歩いていれば、躓いたり落下物が当たったりして、さらに被害が多かったように思います。

災害時要援護者である年配の方の状況を把握

私の近所には新しい単身用アパートが多いので、学生さんなど比較的若い方が多いのですが、一軒家や年季の入ったアパートにはご年配の方も多く住んでいます。若い方は身軽なこともあり、早々と部屋を出て来たようですが、古いアパートにいる方や年配の方はなかなかそうはいきませんでした。

そこで自治体の方々が、避難所の若い男性を呼び集め、リアカーを引いて4~5人ずつ近所の家を回っていきました。そして一人ずつ、リアカーに逃げ遅れたご年配の方を乗せて避難所へ運んできました。

さらには、今にも崩れそうな家でも「この家から出ない!」と頑なに避難を拒否する方にも根気よく説得を続けていました。その間にも別の方は、緊急事態用に用意していた水やお茶を非難した人々に配っていました。

これは地震が起きて1時間も経っていないときの話です。

私はそれをただただ見ていました。

みんな体験したことのない恐怖を味わっているにも関わらす、このように冷静に判断・行動できる自治体の方々を、そのときもですが、今も心から尊敬しています。

ほとんどの避難者は恐怖で行動できない

自治体の方々が一生懸命動いてくれていましたが、やはり多くの方は放心状態だったり恐怖で動けなかったりお年寄りや子どもだったりと、その場で地震を耐えている人々がほとんどでした。

このときに、みんなとにかく地震が収まるのを待っていましたが、また別の恐怖も起きました。

後々問題となったネットを使ったデマ情報です。

次回はこのことについてまとめたいと思います。

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